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御菓子 つちや 本店

江戸時代に誕生した「柿羊羹」をデザインした老舗和菓子屋の御菓印!

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大垣市の老舗和菓子屋つちやの御菓印「柿羊羹」(写真左)、御菓印「大垣城もなか」(写真中央)、全国共通の御菓印帳(写真右)。つちや本店前で撮影(©️SAKURA編集部)

つちやの御菓印の取得方法

本店で1,620円以上購入(御菓印帳でも可)で進呈
1枚 300円でも購入可


「柿羊羹」の御菓印

江戸時代から続く大垣銘菓「柿羊羹」の御菓印。特徴的な柿羊羹の竹容器のイラストの背景には、大垣市出身の日本画家・守屋多々志が描いた柿の絵が使われています。

「大垣城もなか」の御菓印

つちやの人気商品「大垣城もなか」の御菓印。あんこの小豆をイメージさせる落ち着いた赤紫色の地色に大垣城が描かれています。中央には店名、右下に商品名が白文字で入っています。

「柿羊羹」と「大垣城もなか」の御菓印(©️SAKURA編集部)

【御菓印とは】
全国銘菓(全国銘産菓子工業協同組合)が提唱する和菓子の印。加盟する全国の老舗和菓子屋が、長い歴史のなかで大事にしてきた意匠を御菓印としてデザインしています。10店の御菓印を集めて全国銘菓に申請すると「御菓印マイスター」に認定されます。日本各地の銘菓とともに、個性あふれる御菓印を楽しみたいですね。

※御菓印帳(ポケット型20ページ)は、御菓印を取り扱う菓子屋の本店で販売してます。1冊2,750円

御菓子つちやの御菓印のお菓子

柿羊羹(画像提供:御菓子つちや)

柿羊羹

紙箱入り1箱 880円
1口サイズ ひとひら 1枚 130円

岐阜県の特産品「堂上蜂屋柿」から作られた干し柿を材料にした、自然の濃密な甘みが特徴の羊羹。竹入り、紙箱入り、一口サイズの個包装などあり。

大垣城もなか(画像提供:御菓子つちや)

大垣城もなか

1個210円

4層の大垣城をかたどったもなかが目を引く和菓子。食べる直前に自分であんを入れる仕様のため、香ばしいもなかをパリッと歯触り良く楽しめる。

御菓子をご紹介してくれたのは…

株式会社槌谷/販売一部リーダー/浅井 弘子さん

昔ながらの佇まいの本店には、御菓印を求めて関東や関西方面からもお客様がいらっしゃいます。

御菓子つちや俵町本店(公式サイトより)
つちや本店 浅井 弘子さん(©️SAKURA編集部)

宝暦5年、大垣城下に誕生!今も受け継がれる老舗和菓子屋

御菓子のつちやは、江戸中期の宝暦5年(1755年)、大垣藩十万石のご城下で、初代・園助が「柏屋光章」という屋号で店を開いたのが始まりです。和菓子作りには豊富な水が欠かせないため、地下水が豊かでおいしい水に恵まれた大垣には、和菓子文化が花開く基盤が整っていました。

江戸時代の御菓子用品

創業時の看板©️SAKURA編集部)

宝暦5年当時「柏屋光章」と名乗っていたつちやの創業当初の看板。「御菓子屋 柏屋光章」と浮き彫りにされている。現在、俵町の本店に掛けられている看板は明治時代のものである。

お菓子の木型(©️SAKURA編集部)

江戸時代のお菓子の木型。手前の2つは、大垣藩主戸田家の九曜紋をかたどったもの。大垣藩からの依頼によりお菓子が作られていたことが分かる。

通い箱(©️SAKURA編集部)

江戸時代の菓子処では店頭販売は少なく、ほとんどが依頼による御用聞き商売だった。上の画像は、できたお菓子を届けるための通い箱。中に重箱を入れて持ち運んでいた。

愛されて170余年。甘い干柿ときれいな水が生み出した大垣銘菓「柿羊羹」

赤く実った柿は、『古事記』の時代から愛されてきた日本の秋の恵み。その濃厚でコクのある甘みをそのまま封じ込めたかのような和菓子「柿羊羹」は、江戸時代の大垣藩で生まれました。菓子処を営んでいた“つちや(槌谷)”の四代目・右助が、天保9年(1838年)、美濃の特産物「堂上蜂屋柿」の濃密な甘味に注目し、これを羊羹の材料として利用する事に成功したのです。

柿が和菓子に利用された背景には、美濃地方が古くから知られた柿の産地であったことも大きく関係しています。
この地方には柿にまつわる逸話が多く、例えば、関ヶ原の戦の折り、呂久川(現・揖斐川)まで進軍してきた徳川家康に地元農民が大きな柿を献上したところ、家康は「われ戦わずして大柿(大垣)を得たり」と喜び、全軍を鼓舞したという話も伝えられてます。

これは大垣出身の日本画家、守屋多々志によって絵巻物にも描かれている逸話です。

徳川家康「大柿手に入る」の図/守屋多々志画(©️SAKURA編集部)
堂上蜂屋柿/守屋多々志画(©️SAKURA編集部)
柿羊羹/守屋多々志画(©️SAKURA編集部)

古くから美濃の柿といえば、現・瑞穂市の甘柿「富有柿」や、現・美濃加茂市の渋柿「堂上蜂屋柿」が有名でした。中でも堂上蜂屋柿の干柿は、その極上の甘さから「干柿一個に米一升」といわれたほどの貴重品であり、平安の昔から年貢の代わりに納められていました。朝廷に献上したところ、昇殿を許された殿上人(堂上)の名をかぶせて「堂上蜂屋柿」と呼ばれるようになったといわれています。

つちやの柿羊羹の作り方は、江戸時代から現代までほとんど変わっていません

11月頃、きれいに色づいた堂上蜂屋柿を収穫し、皮を一つひとつ剥いで天日干しに。10日ほど経てから刷毛で磨くと、『干柿』特有の甘さの成分である果糖の白い粉が表面に出てきます。

このようにして出来た『干柿』は種を抜き、すり潰してジャム状にし、砂糖と寒天を煮詰めたものと混ぜ合わせ、筒が大きな孟宗竹の器に流し込んで仕上げます。原料に干柿を使うわけは、甘味が濃く、繊維が少ないため。逆に甘柿ではどんなに甘い品種でも水っぽさからトロリとした甘味が出ないのです。

干柿づくり(画像提供:御菓子つちや)

11月に収穫する堂上蜂屋柿の皮を剥ぎ、天日干しにする。10日ほどしたら刷毛で磨く。果糖で表面に粉がふいてきたら干柿の出来上がり。

煮詰め(画像提供:御菓子つちや)

大鍋でまず糸寒天を溶かし、手亡餡(てぼうあん)、砂糖、麦芽糖を入れて煮詰める。

攪拌(画像提供:御菓子つちや)

さらに干柿から作った柿ジャムを入れて攪拌する。

ところで、柿羊羹に竹の容器が使われるようになったのは、明治29年(1896年)、つちやの五代目・祐斎の代のことでした。祐斎の親友で竹の研究家であった坪井伊助翁より「竹と柿は相性が良いから、柿を植えると竹も育ち、柿も甘味を増す、一挙両得だよ」とのアドバイスを得て、独自の竹の容器が考案されました。

江戸時代より170余年に渡って愛されてきた和菓子、柿羊羹は、この先、どのように時代が変わろうとも、このまま伝え続けてほしい大垣銘菓といえるでしょう。

半割の孟宗竹の容器に柿羊羹を順に流し込んでいく。昔は手作業だったが、現代では機械が大活躍。1日程寝かせて固めた後、包装をする。 (画像提供:御菓子つちや)
竹の容器を並べる様子(画像提供:御菓子つちや)

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有効期限:
2025年1月31日


御菓子つちや 俵町本店

オカシツチヤ タワラマチホンテン

0120-78-5311

岐阜SAKURA MediaJapan クーポン

御菓子つちや 俵町本店

オカシツチヤ タワラマチホンテン

岐阜県大垣市俵町39
アクセス:大垣市役所より南東へ徒歩5分

0120-78-5311
9:00~17:00
元日のみ
5(無料)
https://www.kakiyokan.com/
御菓子つちや×柏屋光章
X 御菓子つちや×柏屋光章
御菓子つちや

※情報はページ上の更新日現在のものです。取材時と一部内容が異なる場合があります。

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この記事を書いた人

Sakura編集部_Keiko.H

SAKURA編集部_Keiko.Hです!新しい何かを見つけたとき、誰かと出会ったときの”感動”が好きです。皆さまが小さな感動、大きな感動とたくさん出会えますように、コツコツ情報発信をしていきたいと思います。


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